神社参詣―埼玉県さいたま市浦和区


埼玉県さいたま市浦和区
浦和区役所ホームページ

調神社」「第六天神社」「山神社


調神社(つきじんじゃ)

地図(ゼンリン地図)

さいたま市浦和区。
浦和駅からすぐの中山道沿いに武蔵国の古社が鎮座しています。

調(つき)神社。
通称「つきのみや」と呼ばれています。


まず、この神社には鳥居がありません。


そして、狛犬の代わりにウサギ。
この神社ではウサギが神の使いとされ、あちらこちらにウサギの石像があります。


調神社本殿。
写真右側には神札授与所があります。


また、境内の調公園方には、池と稲荷神社が鎮座しています。


この稲荷神社の社殿は調神社の旧本殿であり、さいたま市の文化財に指定されています。
享保18年(1733)年の造営であるとのこと。


調神社は「ツキ」の音より「幸運を授かる神社」として信仰を集めているそうです。

また調神社には七不思議があり
・鳥居がない
・境内に松の木がない
・御手洗池に片目の魚が住む
・祭神の使い姫は兎
・日蓮上人駒繋の欅
・蠅がいない
・蚊がいない
という話が伝わっています。


調神社:埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25
当社は天照大御神、豊宇気姫命、素戔嗚尊の三柱を祭神とする
延喜式内の古社にして古くより朝廷及び武門の崇敬篤く調宮縁起によれば第九代開化天皇乙酉三月所祭奉幣の社として創建され第十代崇神天皇の勅命により神宮齋王倭姫命が参向此の清らかな地を選び神宮に献る調物を納める御倉を建てられ武総野の初穂米調集納蒼運搬所と定めらる
倭姫命の御伝により御倉より調物斉清の為め当社に搬入する妨げとなる為鳥居、門を取拂はれたる事が起因となり現今に到る

(境内案内板『由緒 畧記』より)



市指定有形文化財(建造物)
   調神社旧本殿
     昭和53年3月29日指定
 調神社は「延喜式」にみられる古社です。この建物は江戸時代中期の享保十八年(一七三三)に調神社本殿として建立されたものです。型式は一間社流造りです。屋根はもとこけら葺きであったと思われます。規模は小さいが木割りは「匠明」という書物に記されているものと一致し、本格的な設計のもとに建立された本殿といえます。また、各所にはめ込まれた彫刻も優れており、特にうさぎの彫刻は調神社と月待信仰の関係を知るうえで貴重です。なを、現社殿が建立された安政年間までこの本殿が調神社本殿として使われていました。
 昭和五十三年十月

調  神  社
浦和市教育委員会

(境内案内板『調神社旧本殿』より)



 当社の鎮座する「浦和市岸町」の地名は、大河の流路の屈曲点、もしくは中州だった所を示す浦曲(うらわ)と、その河岸であったことを示す岸であるといわれる。境内は現在、欅を中心とした落葉広葉樹であり、往古も社名を想起する「つきのき」つまり欅の大木が林立する杜であったことがうかがえる。恐らく古代祭祀は、この大河の望める地、そして欅の巨木がある森厳なる森の中で行われたのであろう。
 『延喜式』神名帳には、足立郡四座の内、「調神社」と載り、「つきのかみ」を奉斎する社であった。
 この「つきのかみ」については諸説あり、「調」が大化の制における賦課、租・庸・調の「調」で、これを納めた御倉に祀られたのが「調神」であるとする説、『新撰姓氏録』にある調布の紡織集団である渡来系氏族「調連(つきむらじ)」一族が奉斎した神であるとする説、また、天保十年(一八三九)当社に参拝した平田篤胤が『調神社考証』で述べた祀る神は天照大御神と宇賀御魂命で、伊勢の神宮に奉献する初穂を収納するための御倉に祀られた神であるとする説がある。
 祭神は『江戸名所図絵』には月読命とあるが、現在は天照大御神・豊宇気姫命・素盞嗚尊である。

(埼玉県神社庁『埼玉の神社』「調神社」の項より抜粋)

神社ホームページ

御祭神:天照大御神・豊宇気姫命・素盞嗚尊

社格等:延喜式内社・旧県社

神紋:十六菊に左三つ巴


第六天神社(だいろくてんじんじゃ)

地図(ゼンリン地図)

前述の調神社からすぐ近く。
調(つきのみや)公園の裏手に鎮座しています。


調神社は「つきじんじゃ」と読むのに、「調公園」は「つきのみやこうえん」と読むのですね。


周りには住宅が立ち並び、ひっそりとしています。


草木が茂り、まるで個人宅の庭のよう。
昭和四十五年までは荒れ放題の様相であったといいます。


こちらが本殿。
昭和四十七年に建設されたそうです。


第六天神社:埼玉県さいたま市浦和区岸町4-18-6
 旧岸村の清岡。この地に鎮座ましまして、調神社とともに七社明神の一に数えられ、近郷近在の人々に尊崇されてきた第六天神社はわがふるさとの奉斎するいわれのある土地の守護神であります。
 御祭神は高天原第三神朝の第六代天津日嗣と称えられる
   面足命 (別名穂千田比古命)
   吾屋惶根命 (神后)
をお祀りしているところから、第六天社、または一等六天社とも申し上げ、その御子の倉平顔比古命や、金子甘美金希代命とともに、穀物貯蔵法や刀剣、鉾や農機具などの製法発明等、農産業発展に尽くされた神様で、面足命とおくり名のあるとおり、福よかな好美顔で高天原でまつりごとをされたので、他の神々にも敬慕され、縁結び、商売繁昌、子育神、火難災厄除神……等民福安栄の象徴として、後世までお祀りされ信仰されてきた、縁起のよい神様であります。
 その歴史的伝統的由緒等は、慶安二年の記録をはじめ、断片的ながらも事実がとどめられその由緒の正しさを今日に伝えております。
 昭和四十五年、当地 調自治会発起にて社殿の整備が行われ、ともに祭礼も恒例化したことを機に、心よりこの故郷の弥栄を期待し、祈願するものであります。

  例 大 祭 七月二十日
  歳 旦 祭 一月 二日

(境内案内板『調町内鎮座第六天神社縁起』より)



 創建については不明であるが、元禄元年(一六八八)の「調神社朱印地調」に、既に当社名を見ることができる。また、『風土記稿』岸村の項には、当社を調神社の末社として載せており、その調神社については、真言宗月山寺が別当として社務に当たっていた。月山寺は、初め浦和宿福寿寺の庵であったものを後に一寺としたものである。元来社名の「第六天」とは、仏教で説く欲界にある第六の天界に住む他化自在天のことであり、主に修験者により仏法守護の神として信仰されていた。したがって、当社も、別当月山寺が当山派修験も醍醐三宝院に属した浦和宿玉蔵院の末寺であったことから、恐らくは月山寺により調神社の鬼門除けの社として祀られたものではなかろうか。ちなみに、月山寺は、明治四年に廃寺となり、現在では跡形もない。

(埼玉県神社庁『埼玉の神社』「第六天神社」の項より抜粋)

神社ホームページ

御祭神:面足命・吾屋惶根命

社格等

神紋:左三つ巴


山神社([読み不明])

地図(ゼンリン地図)

北浦和駅より徒歩10分ほど。
県道浦和越谷線から入った閑静な住宅街の中に鎮座しています。


周りは住宅地で境内は広いです。


扁額…ですが。
おおぅ、豪快ですなぁ。


拝殿と本殿。
草木が生い茂り、近づくことは難しいです。


拝殿の扁額にも「山神社」と記載してあります。
地図によっては「山神神社」と記載してあるのですが…。


拝殿の扁額の脇にはまた別のものが飾ってあります。

それにしても何だろうこれ。
狛犬が遊んでいるようにも見えますが、よくわかりません。
(右クリック→「画像を表示」で少し大きくなります。)



御祭神は神紋の「羽団扇」から考えると天狗関連なのかもしれませんね…。


山神社:埼玉県さいたま市浦和区本太1-35-24
詳細不明。

神社ホームページ

御祭神

社格等

神紋:羽団扇





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